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2016年に創業400年の節目を迎え、また新たな時代に息吹を吹き込む有田焼。[日本磁器の夜明け]ともいえるその長い歴史を語ると時、ひとりの朝鮮人陶工の存在が浮かび上がってきます。
彼の名は李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、鍋島藩が朝鮮から連れ帰った陶工のひとりで、土ものの陶器が主流だった日本の陶磁器生産に大変革をもたらした人物です。彼こそが有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見して磁器の製造をはじめたと言われており、日本の磁器発祥に関する最も有力な説とされています。
当時、李参平は佐賀県多久市で製陶していましたが、白磁を作りたいという強い思いから磁器の原料を求めて探索の旅に出ます。そうして、ついに有田町の「泉山磁石場」で質の良い陶石を発見し、有田焼の礎を築きました。
この良質の泉山陶石により、有田の窯業は数十年のうちに急速に発展。瞬く間に大金を生むドル箱商品となり、鍋島藩の皿山代官所の厳しい管理下で磁器中心の生産体制が確立されました。1650年からはオランダの東インド会社によってヨーロッパの国々にも輸出が始まり、繊細優美な有田の色絵磁器はヨーロッパの王侯貴族たちの間でも高い人気を誇ったようです。また、同じ頃、鍋島藩は伊万里の大川内山に御用窯を開き、最上級の泉山鉱石と技術の優れた職人を使って、有力大名への献上品の製造にも力を入れました。採算性を度外視した特別誂えの格調高い食器は[鍋島焼]と呼ばれ、幕末まで制作が行われました。
しかし、貿易においても衰退が続き、新たな市場を求めて国内市場開拓に乗り出す必要性が出てきましたが、江戸時代中期、有田が相次ぐ不況に苦しむ中、美濃や瀬戸で磁器生産が盛んになったことで、有田の磁器産業の独自性が揺らぎ始めます。そこで、上流階級しか買えなかった磁器を庶民でも買えるよう量産体制による安価な磁器食器の普及に注力しましたが、次第に全国にその技術が伝わり、有田の独占時代は終わりを告げてしまいました。
明治期に入り、ヨーロッパを中心に盛んに開かれていた万国博覧会で、有田焼は再び名声を得ます。1867年のパリの万博では、佐賀藩は幕府の要請で薩摩藩とともに参加し、これを機にヨーロッパ各地にジャポニズム旋風が起こりました。出品された作品はどれも大好評で、有田焼は各国の人々を魅了しました。
有田焼はもともとは殿様が使う高級食器として作られましたが、時代と共にその存在価値が変化。明治以降は富裕層の人々や、高級ホテル・旅館の懐石料理の器として好まれました。近年ではやきものを愛する人はもちろんのこと、インテリア感覚で器を楽しまれる幅広い年齢層の方々の、ニーズに対応できる普段づかいのやきものとして親しまれています。
店長の伊藤元雄です。弊社では、やすらぎの空間を演出する輸入家具、カントリー家具こだわりのインテリア、エクステリアを提案してまいります。
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ショールーム(実店舗)は、水曜日が、定休日です。
日曜日、祭日(水曜日除く)は、営業しております。
※赤字は、いい家具ネットの休業日です。
第16回店長イラン直接買付ペルシャ絨毯展
伊藤家具店内特設会場にて開催
会期予定:2024年 10/19(土)~10/21(月)ガレ工房の流れを引き継ぐ、本場ルーマニア製のシャンデリア照明で、癒しの空間の演出を!
ショールームでの展示もございます。
弊社は、横芝光町商工会の会員です。